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詩(うた)と小説で描く「愛の世界」 忘れ得ぬ祖母。其の二
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忘れ得ぬ祖母。其の二

~一人でせんだかて~
祖母美代子04
確か小学校の六年生の時であったと思う。
休憩時間に校庭の隅にある鉄棒で遊んでいる時、鉄棒へ陰茎の付け根を押し当てて、
足を突っ張るようにすると、股間に激しい快感が沸き起こってきた。
暫らく其の快感を楽しんでいるうち、昇り詰めた感じに成って終わったのであったが、
それから幾日か経って、夜寝床に就いてから其の時の事を思い出し、股間へ指を当てて
陰茎の付け根を押してみたが、昼間感じたような快感は起こらず、あれは何だったのかと、
陰茎を握って撫で回しているうちに、自分でもビックリする程大きく勃起してきた。

当時、友達の間で「オメコをすると気持ちが好いそうや」とか、「チンポが剥ける」とか、
「毛が生えてきた」とかそんな事がしょっ中話題になっていたから、
既に私も、陰毛が生え始めていたのかも知れない。

はっきり覚えているのは、陰茎は勃起すると既に亀頭の包皮が半分以上は捲くれて、
所謂半ムケの状態になっていた事で、其の晩、ちょつと力を入れて根元の方へ
引っ張った途端、軽い痛みを覚えたが、後は完全に亀頭がむき出しに成った。

私は包皮を指で摘むようにして前後に動かして見ると、やがて先日のような快感が起こって、
動悸が激しくなってきた。祖母に背を向けて頻りに指を動かしていると、程なく目くるめく
様な快感が股間に沸き起こって、ズキンと脳天へ上って行くと同時に私は、
激しく息を弾ませながら気を遣った。

オナニーするのを覚えたのは、それが最初で、それから時々祖母が眠るのを見計らって
オナニーをするようになった。やがて僅かながらでも射精をするように成っており、
疎らだった陰毛も次第に濃く伸び初めていた。

或る夜、何かの事で気が立って眠られず、勃起した陰茎を摘んで、
オナニーを始めて暫らくすると、
「久雄ちゃん、何しとるんや?」
眠って居るとばかり思っていた祖母がそう言って声をかけてきた。
私は慌てて手を引っ込めたが、祖母は素早く私の股間へ手を差し伸べて、
勃起した陰茎へ指が触れると、探るようにして、そっと握り締めてきた。
「こんなにチンチンを大きうして、どうしたんやの?オメさんがしたいんか?」

端的な祖母の言葉に、私はそれまで漠然と感じていた欲望が「オメコをする」事に対する
欲望であったのだとしらされる思いであった。私が黙っていると、
祖母は握っていた私の陰茎から指を離して、力強く私の体を抱き締めてきた。


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祖母美代子05
「なあ、久雄ちゃん、一人でせんだかて、おばあちゃんのオメコへ入れてすればええんやで・・・
 何も遠慮することなんかあらへん。さあ、おばあちゃんがオメコさんさせてあげるよって・・・」
そう言いながら、体を起こし、片手で私を抱くようにして、再び手を股間へ伸ばしてきた。

此れ迄セックスの対象として考えたことの無かった祖母にそう言われて、まさに青天の霹靂
を聞く思いで有ったが、私はおとなしく祖母の言うが儘に体を預けていった。

祖母はわたしの陰茎を軽く握って、前後に包皮を上げ下げし、時々唾を付けた
親指の腹で巧みに亀頭を撫で回したりした。初めの内は何かくすぐったい思いであったが、
次第に気持ちが良くなってきた。

「おばあちゃん、ええ気持ちや、ええ気持ちや・・・」
私は自分でするオナニーとは比べ物にならない巧みさで、睾丸から下腹部全体を
這い回るような祖母の柔らかい指の動きに、ゾクッと体を震わせて思わず声を上げた。
「そうか、ええ気持ちか?そんなら、オメコへ入れるさかいに、
 おばあちゃんのお腹へ乗っておいで、久雄ちゃん。そう、そう、その調子やわ」

私が祖母の腹へ乗りかかり、腰を浮かすと、祖母は陰茎の根元を持って、
亀頭の先を濡れたオメコへ宛がい、わたしの尻へ廻した両手に力を入れて、
押し付けると同時に、下から腰を持ち上げてきた。
その途端、私の陰茎はすっぽりとオメコの中へ飲み込まれたが、
指で揉んで貰うほどの快感は無かった。

それでも下から祖母が激しく腰を使い、オメコをしめつけてくると股間に快感の波が
押し寄せて来て、快感が高まり、上り詰めると間もなく引いていった。
射精したのかどうか、それすらも判らない様なあっけない終わり方であった。

その後は、祖母が腰を動かすと、陰茎全体が、もう、如何仕様も無い程
くすぐったくて堪らず、思わず腰を引いて、祖母から体を離した。

私が陰茎を挿入して果てるまでの祖母の様子は殆ど記憶に無い。
余程自分の事に夢中に成って居たのに違いないが、私が体を離すと、
「もう、イッタんか?久雄ちゃん?」
そう言って祖母は片手で、私の体を抱き締め、もう一方の手はオメコの辺りで激しく
動かしながら、鼻息を荒くして、空腰をを使い始め、やがて、
「ウ、ウ、ウウッ、」と押し殺したような呻き声を上げていた。
祖母美代子06
今にして思えば、子供の陰茎とは言え、既にある程度の太さや固さを持ったいた
私の陰茎にオメコの中を刺激された祖母は、私が気を遣った後、気分の昂まりを
押さえられず、堪り兼ねて手淫で気を遣ったのであろう。

それが私の童貞喪失と言えば言えない事は無いが、それ以後中学に入るまでに
月に二、三度のペースで祖母と体を交えた。しかし、まだ充分に発育していない
陰茎のせいか、祖母のオメコの中は何時も愛液でビショビショなので緩く感じられて
腰を使っても、摩擦感が味わえず、一応は気をやるのだが、自分の部屋で意の儘に
擦り扱くオナニーの方がずっと気持ちが良かった事だけは事実である。

『その時、祖母は未だ五十に成ったばかりで有ったから、肌に張りや潤いもあったし、
更には未だ充分に女としての色気も残って居たのであった。
因みに、後年私は五歳年上の妻を迎えたが、その妻も今は既に四十歳を過ぎて、
性欲は益々衰えるどころか激しさを増している。その当時、今の妻とそれ程年の
違わなかった祖母が、時には襲ってくる性欲に身を揉んだ夜も多かったであろう事は
想像に難くない。
又、私が年上の妻を貰った事や、この後に書く積りの(妻の母親)との肉体関係も、
私には、若い女性には全く興味が持てず、終生(熟女好み)を通したのも。
祖母と過ごした少年期の体験が大きく影響していた筈である。』

中学校へ進んだのを機会に私は祖母と一緒に寝る事を止めた。
祖母はその事に付いては何も言わなかったし、
祖母との肉体関係も自然に消滅した形になった。
しかしその事によって私の祖母に対する気持ちが離れていった訳ではなかったし、
そぼも相変わらず「久雄ちゃん、久雄ちゃん」と私を可愛がっていた。

中学の二年になった年の初夏、家業である呉服店の店員慰安の為の
一泊旅行があり、両親共々引率して出掛けて行った。妹は叔母の処に泊まりに
行くといって出掛けたので、私と祖母の二人だけが家に残った。

夕食の時、祖母はニコニコしながら食事の世話をしていたが、
「久雄ちゃん、久し振りに、お婆ちゃんと一緒に寝ようか?」と、持ちかけてきた。
「ああ、ええよ」
私は今更祖母と添い寝をする事は何か恥ずかしいような気もしたが、
それ程の抵抗を感じず、
それよりもひょつとしたら久し振りに祖母とオメコが出来るかも知れないと言う期待あって、
二つ返事で承諾した。
  1. 祖母相姦
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ご挨拶

万屋 太郎

Author:万屋 太郎
2006年9月に初稿をUPしてから
早くも14年が経過いたしました。

生まれ育った横浜を離れて6年前の1月に、
静岡県伊東市に移住いたしました。
山あり、湖あり、海あり、の自然環境はバッグンです。
伊東には多くの文人が別荘を持ち、多くの作品を
手がけて居られるようです、私もあやかって、
この自然環境の中での創作活動が出来ればと思っております。

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