渓流と吊り橋。其の一
◇淳子との出会い。
今から10年前の夏、小さなマーケットを経営する私は、商店街の仲間達と温泉旅行へ出掛けた。
恒例の懇親会で、一泊二日の旅だった。
景気の良かった頃は、旅先で芸者を呼んで遊興したものだが、
不景気の折柄そんな派手さは無かった。その代わり酒だけはたっぷり出て飲み放題だった。
宴会が終わってから、私は一人でフラリと散歩にでた。歓楽街から離れた静かな旅館周辺は、
防犯灯も有って明るかったが、歩くにつれて闇が濃くなっていった。
だが闇に慣れた目は時折雲間から覗く月明かりだけでも、
足元がおぼつかないと言うこともなかった。
それに、その温泉は亡き妻と十七年前に新婚旅行で来た場所だった。
おぼろげながら道順の記憶があった。
懇親会で旅行先がそこに決まった時、妙な巡りあわせに成ったものだと感慨無量だった。
亡き妻とは、「何時の日にか、また訪れてみたいね」と話し合っていたものの、
ついに実現せずに終わってしまった。妻は四年前に乳癌で他界してしまったのだ。
私は月光の射す道を、記憶を手繰りながら歩いて渓流の畔に出ると佇んだ。
遠くに吊り橋が架かっているのも、月の光にキラキラ輝く谷川の早い流れも、昔と変わらなかった。
そしてホテルの半纏の袂からタバコを取り出すと一服し、亡き妻を偲んだ。
そうしていると涙が滲んできた。酒の酔いも感傷をことさら深めたのだった。
すると、すぐ近くに人の気配がしたので、びっくりした。闇を透かしてその方角を窺うと、
それまでは気づかなかったのだが、女性が一人佇んでいたのだった。
スーツ姿の彼女は、私に気付いたらしく、戸惑いながらも軽く会釈した。
いくらか憂いを含んだ色白の丸顔が美しく、慎ましやかで好感がもてた。
正装した身なりからして、同じホテルの宿泊客に間違いなかった。
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それにしても、なぜ他に誰もいないこんな場所に佇んでいたのだろう・・・。
ホテルから五、六分の距離とはいえ、女の一人歩きは不用心だし、
第一、怖くないのかと私は不思議に思った。
ふと、不吉な予感がした。まさか渓流に身を投げるつもりで
此処へやって来たのではないか・・・と、直感した私は自然に彼女に近づいていった。
彼女は少し後ずさりをしたが、それは警戒心からではなく
、初対面の躊躇いがそうさせたものらしかった。
月の光が射して、彼女の顔の輪郭や目鼻立ちを浮き彫りにした。
私はその美貌に圧倒され、息をのんだ。
スーツ姿の容姿も端麗なら、絞まった胴に続くスカートの下肢も伸びやかだった。
当時四十五歳の私より幾分年下らしく、人妻ではないかと想像した。
私同様に、友人達とでも温泉街に行楽にやって来たのだろうが、
どうして彼女だけそんな誰もいない渓流の岸へきたのだろう。
「奥さん、お帰りに成るのならホテルまでお送りしましょう」
私は笑顔で、そう言った。
彼女は苦笑し、頭を下げて礼心を示してから、
「あたし・・・亡くなった主人とその昔、新婚旅行で此処へ来たことがありますの。
そんなものですから、つい」と、小声で話してくれた。
私は少しならず驚いた。全く偶然ながら、私は亡き妻を偲び、彼女は亡き夫を偲ぶために、
同じ場所に佇んでいた事になるのだから・・・。
「そうでしたか・・・実は私も」と、私は正直に打ち明けた。
すると、彼女はびっくりして私の目を見つめた。咄嗟の出まかせか、事実その通りであるかは、
私の真剣な表情を見れば判る筈だった。そして彼女は溜息交じりに呟いた。
「奇遇ですわね、本当に。それぞれ同じ思い出の場所に立っていたなんて・・・」
私と彼女、淳子とは、そうした奇縁で交際を始めたのだった。
今から10年前の夏、小さなマーケットを経営する私は、商店街の仲間達と温泉旅行へ出掛けた。
恒例の懇親会で、一泊二日の旅だった。
景気の良かった頃は、旅先で芸者を呼んで遊興したものだが、
不景気の折柄そんな派手さは無かった。その代わり酒だけはたっぷり出て飲み放題だった。
宴会が終わってから、私は一人でフラリと散歩にでた。歓楽街から離れた静かな旅館周辺は、
防犯灯も有って明るかったが、歩くにつれて闇が濃くなっていった。
だが闇に慣れた目は時折雲間から覗く月明かりだけでも、
足元がおぼつかないと言うこともなかった。
それに、その温泉は亡き妻と十七年前に新婚旅行で来た場所だった。
おぼろげながら道順の記憶があった。
懇親会で旅行先がそこに決まった時、妙な巡りあわせに成ったものだと感慨無量だった。
亡き妻とは、「何時の日にか、また訪れてみたいね」と話し合っていたものの、
ついに実現せずに終わってしまった。妻は四年前に乳癌で他界してしまったのだ。
私は月光の射す道を、記憶を手繰りながら歩いて渓流の畔に出ると佇んだ。
遠くに吊り橋が架かっているのも、月の光にキラキラ輝く谷川の早い流れも、昔と変わらなかった。
そしてホテルの半纏の袂からタバコを取り出すと一服し、亡き妻を偲んだ。
そうしていると涙が滲んできた。酒の酔いも感傷をことさら深めたのだった。
すると、すぐ近くに人の気配がしたので、びっくりした。闇を透かしてその方角を窺うと、
それまでは気づかなかったのだが、女性が一人佇んでいたのだった。
スーツ姿の彼女は、私に気付いたらしく、戸惑いながらも軽く会釈した。
いくらか憂いを含んだ色白の丸顔が美しく、慎ましやかで好感がもてた。
正装した身なりからして、同じホテルの宿泊客に間違いなかった。
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それにしても、なぜ他に誰もいないこんな場所に佇んでいたのだろう・・・。
ホテルから五、六分の距離とはいえ、女の一人歩きは不用心だし、
第一、怖くないのかと私は不思議に思った。
ふと、不吉な予感がした。まさか渓流に身を投げるつもりで
此処へやって来たのではないか・・・と、直感した私は自然に彼女に近づいていった。
彼女は少し後ずさりをしたが、それは警戒心からではなく
、初対面の躊躇いがそうさせたものらしかった。
月の光が射して、彼女の顔の輪郭や目鼻立ちを浮き彫りにした。
私はその美貌に圧倒され、息をのんだ。
スーツ姿の容姿も端麗なら、絞まった胴に続くスカートの下肢も伸びやかだった。
当時四十五歳の私より幾分年下らしく、人妻ではないかと想像した。
私同様に、友人達とでも温泉街に行楽にやって来たのだろうが、
どうして彼女だけそんな誰もいない渓流の岸へきたのだろう。
「奥さん、お帰りに成るのならホテルまでお送りしましょう」
私は笑顔で、そう言った。
彼女は苦笑し、頭を下げて礼心を示してから、
「あたし・・・亡くなった主人とその昔、新婚旅行で此処へ来たことがありますの。
そんなものですから、つい」と、小声で話してくれた。
私は少しならず驚いた。全く偶然ながら、私は亡き妻を偲び、彼女は亡き夫を偲ぶために、
同じ場所に佇んでいた事になるのだから・・・。
「そうでしたか・・・実は私も」と、私は正直に打ち明けた。
すると、彼女はびっくりして私の目を見つめた。咄嗟の出まかせか、事実その通りであるかは、
私の真剣な表情を見れば判る筈だった。そして彼女は溜息交じりに呟いた。
「奇遇ですわね、本当に。それぞれ同じ思い出の場所に立っていたなんて・・・」
私と彼女、淳子とは、そうした奇縁で交際を始めたのだった。
- 再婚夫婦
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ご挨拶
Author:万屋 太郎
2006年9月に初稿をUPしてから
早くも14年が経過いたしました。
生まれ育った横浜を離れて6年前の1月に、
静岡県伊東市に移住いたしました。
山あり、湖あり、海あり、の自然環境はバッグンです。
伊東には多くの文人が別荘を持ち、多くの作品を
手がけて居られるようです、私もあやかって、
この自然環境の中での創作活動が出来ればと思っております。
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(アダルト)のコンテンツが
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「ポルノ」のみを指しているのではなく、
社会通念上、
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